12/12(水)、ノンフィクション作家「中田整一先生」の講演を聴講しました。
12月12日(水)9:30〜11:30、阿知須地域交流センターで開催されたノンフィクション作家「中田整一先生」の講演会(阿知須郷土史研究会主催)に、当病院からおお先生を含む3名が参加し聴講しました。中田先生の講演は、平成29年9月13日の「二・二六事件」、平成30年2月の「気骨の女渡辺はま子の生涯(モンテンルパの夜はふけて)」に続く3回目で、約50名の方が参加されました。中田先生は、ご承知の通り、ノンフィクション作家で元NHKプロデューサーの経歴があり、中田先生はどこにでも出向かれ、真実をとことん探求する心をお持ちです。参加された皆さんは、映像や実録などの証拠に裏打ちされたノンフィクションストーリーの素晴らしい構成力、さらに、圧倒される迫力ある言葉に聞き入り、熱心に聴講されていました。講演の最後に中田先生は、参加者から盛大な拍手で素晴らしい内容に感謝され、大盛会となりました。
中田先生、先生の講演は、いつも聴講してそう思うのですが、参加された皆さんは先生の話に吸い込まれ、あっという間に2時間が経ったように思います。貴重なお話ありがとうございました。また近く、中田先生の講演会が開催されることを切に願っております。
講演風景を写真リレーでご紹介します。
阿知須共立病院
サービスセンター
田中 公志 記
講演風景を写真リレーでご紹介します。
また、講演の概要を【続きを読む】に掲載していますのでぜひ一度ご覧になってください。
なお、今回の講演の内容は「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝(中田整一著、講談社文庫)」に記載されていますので、ぜひお買い求めになり、ご一読いただければと思います。
講演では、「ノーモア・パールハーバー(真珠湾攻撃総隊長の回想)」という演題で行われ、今から77年前の12月8日、真珠湾攻撃で総隊長を務められた淵田美津雄氏の8年がけの自筆回想録を影像を交えながら解説されました。中田先生は、「淵田隊長が、大戦参戦時、米国側の合言葉リメンバー・パールハーバーに対して、広島、長崎の原爆投下の惨状を目の当たりにし、終戦後、ノーモア・パールハーバーという言葉を造られ、三度も死の淵に立たされた。日本人でこれほどの過酷な体験をされた方はいない。」と熱く訴えられ、淵田隊長にまつわるエピソードをいくつか紹介されました。
その一つは、真珠湾攻撃で「トラトラトラ(我奇襲に成功せり)」を打電したのはまさに淵田総隊長であり、真珠湾での大戦果を示す上空からの写真を天皇陛下の前で見せながら奇襲成功について説明した人物であること、一方で、特殊潜航艇で米軍軍艦艇への攻撃を企図したが戦死された戦友岩佐直治中佐を含む9人の軍人を軍神と称えたことへの不満、「淵田隊長は船は沈めたが、燃料タンクは破壊しなかった」と後に批判されたことへの不満、そして山本五十六元帥海軍大将の作戦に対し不満を抱いていたことなどを史実に正確に説明されました。
最後に、中田先生は、淵田隊長が終戦後、なぜ宗教の世界に入り、キリスト教伝道師としてアメリカ各地を歩き回り、自分は正義と思って戦った戦争は、果たして正義だったのか、と「憎しみの連鎖」を解き放つために活動したことなどを紹介されました。